エピソード・ゼロ

 

 ふたりの少女が、ひとりのアイドルをきっかけに四ツ星学園に入学した。少女のひとりはそのアイドルに憧れを抱き、もうひとりの少女はそのアイドルを絶対の誇りとしていた。

 1

 きっかけは、ルネが八歳のある日、偶然街のショッピングモールで見かけた、スターライト学園のアイドルのステージだった。その日から、ルネはすっかりアイドルの虜になっていた。時間を少し遡る。
 ルネは、双子の弟とともにこの世に生を受けた。『流れる音』と書いて姉には『ルネ』、弟には『流音』のあとに『斗』をつけて『なおと』と両親は名づけた。ふたりは二卵性双生児でありながら、まるで鏡に映したかのようにとてもよく似ており、またとても仲が良かった。とりわけルネは髪形や服装をなおとに合わせることが多く、自然と男児と同等の扱いを受けながら育っていき、ルネもまた、それに不満や違和感を抱いてはいなかった。この日ルネは、母といっしょにショッピングモールで買い物を済ませ、これからどこかレストランでランチにしようかと母と手を繋いで歩きながら話しているところだった。ふたりがショッピングモールの広場を素通りしようとしたその時、母の足が止まった。母と手を繋いでいるルネの手に重いものを引っ張る感覚が伝わり、母が立ち止ったことに気付く。

「おかあさん、どうしたの?」

 ルネが母の方を見上げると、母は壁に貼られているポスターを見つめていた。

「あら、これもしかしてゆずかちゃん?」

 そう言われてルネもポスターへ視線を送ると、そこにはたくさんのアイドルが写っていた。『スターライト学園ニューカマーライブ』そう書かれたポスターに写っているアイドルたちは全員が紺のブレザーに白いスカート、そして赤いリボンを着けた制服を着ている。選ばれたアイドルにのみ着ることを許された、スターライト学園の制服だ。その中にルネにとって見覚えのある少女の姿が写っていた。頭の左側に括り、緩やかなウエーブがうねるサイドテールが特徴的な金髪に、まるでトパーズのように黄金に輝く瞳を持つ少女、明ヶ瀬ゆずか。ルネの父方の従姉である。

「おかあさん、これ、ゆずねぇ?」

 ルネが母に訊ねた。無理もない。ルネはこんな制服を着たゆずかを今まで見たことがなかったのだ。ルネにとってゆずかは、お盆や正月、冠婚葬祭といった親戚一同が集まるような場でしか会うことがない、従姉でしかなかった。久々に集まった大人たちがお互いの近況を話したり、酒の席で盛り上がると、蚊帳の外にされてしまいがちな子供たちの面倒をよく見てくれた親戚のお姉ちゃん。そう言えば、歌をよく歌ってくれた。これが、まだ幼いルネが知りうるゆずかのすべてだった。

「今年スターライト学園に入学したって聞いたけど、新入生のお披露目ライブなんてやるのねー。しかも今日これからこの広場のステージでやるんですって! ルネ、折角だから見ていきましょうよ!」

 母の提案に、ルネも賛成した。アイドルについてはよく分からないが、親戚のお姉ちゃんがステージで歌うと言うだけでも、幼い少女にとってはワクワクしないはずがなかった。

「うん! ルネも、ゆずねぇおうえんする!」

 ふたりは広場に用意された観客席で、ライブの開演を待った。スターライト学園はアイドル養成の名門校と言うことだけあり、その新人アイドルとなると注目度は高く、観客はあっという間に増えていった。開演直前になると、観客席だけではなく、ステージを見下ろせる上の階にも、観客が大勢集まっていた。やがてライブが始まると、MCの進行で次々とアイドルが現れては一曲披露して簡単な自己紹介をすると、退場していった。

「みんなとても可愛いわねー」

 隣で母がルネに言うが、ルネの表情はどこか曇りかかっていた。

「うん! みんなかわいいし、おうたもじょうず! でも、ゆずねぇまだかな……」

 初めて見るアイカツシステムを使ったライブステージに最初はルネも興奮して楽しんでいたが、まだ幼いルネには長時間のイベントを観る体力も忍耐力などあるはずもなく、目当てであるゆずかの登場を前に徐々に飽き始めていた。

「きっともうすぐよ」

 母がそう言ってルネの機嫌を窺った。

「続いてのアイドルは、目映い金髪が特徴的な元気な新入生、明ヶ瀬ゆずかちゃんです!」

 MCが次のアイドルを紹介した。ルネの願いが通じたのか、いよいよゆずかの出番だ。ルネの表情に輝きが戻った。

「ほら、次ゆずかちゃんだって! いっぱい応援しないとねぇ」
「うん! ゆずねぇ、がんばれー!」

 ルネが元気を取り戻し、精一杯手を振って応援する。アイカツシステムのイリュージョン効果で周囲が青空の下の公園のような景色に早変わりすると、ステージ上にゆずかが登場した。たくさんのフリルが付いたピンク色の衣装に花のアクセサリを身に纏ったゆずかを見て、ルネはそれまで一心に振っていた手を止めた。思わずルネの口から言葉が漏れた。

「ゆずねぇ、かわいい……」

 年に数回会うだけの親戚のお姉ちゃんがアイドルの衣装を着てステージの真ん中に立っている。ルネにとっては、それだけでも現実感がなく、まるで夢のように思えたが、すぐに更なる衝撃が訪れる。

「スターライト学園新入生の明ヶ瀬ゆずかでーす! 今日は頑張って歌いまーす! 聴いてください!『オリジナルスター☆彡』です!」

 ゆずかがそう言うと、曲のイントロが流れてダンスを始めた。そのまま歌に入り、振り付けもこなす。まだ新入生のたった一曲のステージは、業界やプロの人間から見ればまだまだ未熟だったかもしれないが、ルネにとってはステージで歌うゆずかがキラキラと輝いて見えた。応援も忘れて、ルネはゆずかから目が離せないでいた。ルネの中にゆずかに対する『憧れ』の感情が生まれた瞬間だった。

 ライブが閉演すると、観客は徐々に広場を去って行ったが、ルネは席から一歩も動かなかった。いや、動けずにいた。流石に母が心配そうにルネに声をかける。

「ルネ、どうしたの? 疲れちゃったのかしら?」

 母の声に反応してルネがゆっくりと母の顔を見上げた。視点が一点に定まらず、絞り出すように言葉を口にした。

「ルネも……ルネも、ゆずねぇみたいなアイドルになりたい……!」


「明ヶ瀬って、あの明ヶ瀬ゆずかのいとこだったのかよー? 全然似てねーじゃん!」
「マジかよ! まさかお前、小学校卒業したらアイドルになるなんて言わないよな? 男勝りなお前じゃ無理無理! 絶対無理!」

 四年の歳月が流れ、ルネは小学六年生に成長していた。ゆずかはあの後、中等部を卒業するまでにトップアイドルのひとりとしてあっという間にルネにとってそれこそ天空に輝く星のように、どれだけ手を伸ばしても届かないような地位に上っていた。ゆずかの知名度が上がると、やがてルネがゆずかのいとこだと周囲に知られるようになり、ボーイッシュで男勝りなルネはゆずかと比較されてクラスの男子のからかいのネタにされるのは日常茶飯事だった。

「うるさいわね! 私がトップアイドルになってもあんたには絶対サイン書いてやんない!」
「えっ、お前まさか本当にアイドルになるつもりなのかよ? なあ、なおとからも言ってやれよ。アイドルになんか絶対なれないって」

 ルネをからかっている男子が、同じ男子であるなおとに同意を求めるが、なおとは双子の姉であるルネの側についた。

「僕も昔はルネじゃ無理だって言ったこともあったけど、ルネは一度決めたことは曲げないし、僕がどうこう出来る問題じゃないよ。うちじゃ父さんも母さんも反対はしてないし、ルネの好きなようにすればいい」

 なおとにとっても、この光景はもう飽きるほど目にしていた。一見自分には関係ない、というような素振りだが、これもなおとなりのルネへの応援だった。双子の弟の応援を追い風にするように、右手で握り拳を作ってルネが言い放った。

「誰が何と言おうと、私はアイドルになるよ!」

 そう宣言するルネの見据える先には、常に今はトップアイドルになっている憧れの従姉の姿が眩しいくらいに輝いて映っていた。

 2

「ぷろとちゃんって、新人アイドルの明ヶ瀬ゆずかちゃんに似てるよね!」

 アイドルに詳しいクラスメイトの女子が、スターライト学園の新入生名鑑を手にして、ぷろとと呼ばれた金色の髪と琥珀色の瞳を持つ少女――神風輪舞(じんぷう ロンド)――に見せてきた。

「ほら、この子」

そう言ってクラスメイトがロンドに見せたページの一点を指差すと、そこにはロンドの知っている少女の姿があった。明ヶ瀬ゆずか。苗字こそ違うが、ロンドの母方の従姉である。年に数回、お盆や正月などで親戚が集まるときによく自分たちの面倒を見てくれた親戚のお姉ちゃん。髪と目の色が自分と似ていることは親戚から言われたこともあり、まだ幼いロンド自身も認識していたが、それはあくまで従姉と似ていると言うだけのことであり、アイドルと似ているなんて考えたこともなかった。そういえば最近、ゆずかがスターライト学園に入学したことを、母親が話していたような気がする。そんなことを思い出していた。クラスメイトの女子はロンドがゆずかのいとこであることは知らないし、ロンド自身はアイドルにさほど興味はなかった。だから敢えて自分がアイドルの親戚であることも口にはしなかった。

「ほんとだ! こうしたら、もっとそっくりになるかな?」

 ロンドが髪を両手で纏めると、頭の左の方へ持っていった。ゆずかの特徴であるサイドテールの真似だ。ただのおふざけのつもりだったが、クラスメイトの反応は予想以上だった。

「うん! すっごい! ぷろとちゃん、アイドルみたい!」

 この日からロンドは、従姉ではなく『アイドル』としてのゆずかに興味を持ち、ゆずかについて雑誌やインターネットで調べるようになった。まだスターライト学園に入学して間もなく、情報は少なかったが、それでも髪型や服装、そしていつもかけている赤い眼鏡を真似てみた。最初は軽いモノマネのつもりで、これが解るのも最初にゆずかと似ていると言ってくれたクラスメイトだけだった。ロンドもそれでいいと思っていたが、ロンドの想像よりも早くゆずかは大舞台で実績を積み上げ、世間に知られていくようになった。やがて、ロンドがゆずかに似ていると言うことを、みんなが知ることになる。ロンドは、あっという間に学校の人気者になった。ゆずかのメディアでの露出が高まると、ロンドももっとゆずかを真似ようと、モノマネにのめり込んでいった。姿形だけではなく、歌やダンス、ゆずかが出演しているドラマや映画の芝居、トーク番組での口調。それを披露することで、学校の友人も喜んでくれた。やがてロンドは、こう考えるようになっていった。
「あたしも、ゆずかちゃんのように……ううん、ゆずかちゃんになりたい!」

 そして、程なくして更なる転機がロンドに訪れた。ゆずかの『ゴールドスターアワード』の受賞だ。数々のアイカツランキングに名を遺したアイドルのみが受賞できる、トップアイドルの証でもある賞の受賞をきっかけに、ロンドにとってゆずかはただ自分と似ているアイドルから『誇り』へと昇華していった。そしてどこから情報が漏れたのか、ロンドがゆずかのいとこであることが知られるようになると、ロンドはモノマネ上手の人気者から、トップアイドルの生き写しとして見られるようになっていった。

 ――トップアイドルと従妹だなんて羨ましい――
 ――トップアイドルに似てるなんて羨ましい――

 学校の友人たちのそんな声を、ロンドは嫌と言うほど浴びるようになっていった。だが、ロンドはうんざりするどころか、そこまでみんなの心を惹きつけるゆずかに心酔し、ますます誇りに思うようになっていった。ゆずかの活躍が、ロンド自身の喜びであり、ロンドの中でゆずかの存在は絶対的なものになっていた。ゆずかの存在こそがロンドのアイデンティティであり、もはやロンドは、ゆずかのドッペルゲンガーと化していた。そして、ゆずかと同じ血が半分流れているロンドを、ある衝動が突き動かした。

「ゆずかちゃんにもっと近づくために、あたしも本当のアイドルになりたい!」

 両親にそう告げたのは小学校六年生になってからだった。両親もロンドのゆずかへの心酔とモノマネは知っていたが、まさか本当にアイドルになりたいと言うとは思わなかったので戸惑った。

「あんた、ゆずかちゃんみたいになるのと、アイドルになるのとじゃ違うのよ?」
「違わないよ! あたしはゆずかちゃんになりたいの!」
「ゆずかちゃんがいるスターライト学園の合格率分かってるの? あそこすごく入試厳しいのよ?」
「それくらい分かってるよ!」

 そんな口論が何度も繰り返された末、四ツ星学園であればアイドルとしての進路へ進んでいいと言う結論に落ち着いた。それは、四ツ星学園は入学が比較的容易であることと、歌、演劇、ダンス、モデルの四つのコースがあり、それぞれの道を究めるカリキュラムを特色としていたからだ。ロンドには、誰かの真似ではなく、ロンド自身のアイドルの道を見つけて進んでほしい。そう願ってのことだった。だが、ロンドにはその願いはまだ届いていなかった。神を崇拝し、祈りによって神の存在に近づこうとする敬虔な信者のように、ロンドにとってアイドルになると言うことは、ゆずかに近づくための手段でしかなかった。この頃、四ツ星学園の各組の頂点に君臨するアイドルから成る『S4』が世間の注目を集めていたが、ロンドにはそれすら眼中にはなかった。

 3

 四ツ星学園の学園長室では、学園長の諸星ヒカルが新入生のプロフィールシートに目を通していた。シートを一枚一枚、一定のペースでめくっていた諸星の手が止まる。その場に居合わせていた歌組担当講師の響アンナがそれに気付く。

「学園長、どうかされましたか?」
「このふたり……明ヶ瀬流音と神風輪舞。もしや」

そう言いながら諸星がふたりのプロフィールシートをアンナに見えるように執務机の前に差し出した。

「はい、そのふたりはそれぞれ、スターライト学園の明ヶ瀬ゆずかのいとこにあたります」

 アンナの返答が、自分が想像していた通りで満足したのか、諸星が軽く俯きながら眼鏡の位置を中指で直した。

「やはりそういうことか……あのトップアイドルの血をそれぞれ半分ずつ引いているとすれば……。しかし、もしも彼女たちがこの学園に相応しくないと分かったらそのときは……」
「これからどういうアイドルになっていくかは、この子たち次第です」
「そうだな。まずは新入生のお披露目ライブと、組分けオーディションでお手並み拝見と行こうか」

 そう言うと諸星は椅子から立ち上がると、学園長室の窓から外の様子を窺った。学園の生徒たちの中に、ふたりの少女が並んで歩いている姿があった。

「まさか、ぷろとも四ツ星学園に入ってるなんてね。初めて知ったときは驚いたよ」
「あたしも、ルネがいるなんてビックリしたよ!」

 学園の校舎から寮に向かう道を、四ツ星学園の制服を着たルネとロンドが歩いていた。ゆずかとそれぞれ従姉妹と言う関係ではあるものの、血縁関係が無いふたりは、ゆずかがアイドル業で忙しくなってからはお盆や正月でも会うことは無くなっていた。四ツ星学園の入学式で会ったのが数年ぶりの再会だった。

「やっぱり、ゆずねぇを目指してアイドルに? って言うかその髪型と眼鏡見れば一目瞭然か」

 ロンドは、相変わらずゆずかを真似た容姿をしていた。一方のルネは、爽やかなショートカット姿だ。ゆずかとは全く似ていないが、生まれついての凛々しいツリ目と良く似合っていた。

「当然! あたしは、ゆずか先輩になりたい! いや、なってみせる!」
「いとこなのに『先輩』を付けるんだ……」
「何言ってるの? アイドルの先輩なんだから、親戚とかそんなの関係ないでしょ!」
「やっぱり私は『ゆずねぇ』の方が呼び慣れてるなー。まっ、これからお互いがんばろっ! 私も、ゆずねぇみたいなアイドル目指すから!」

 そう言うとルネはロンドの肩をポンと叩いた。